【写真取得元 ぱくたそ(pakutaso.com)さん】
東京に引っ越してきて5年以上経過して最近思うこと・・
「久しぶりにスキー乗りたいなぁ・・」
引っ越す前に住んでた北海道の某村は村内にスキー場があって車で5分の立地、しかも奥さんがそのスキー場の運営会社の職員だったので福利厚生で家族もシーズン券無償提供つまりタダだったし!
もちろんウェアや道具は買ってたけど、モノにこだわらなければシーズン終わりにリサイクル品が定価よりも安く手に入ることが多かったし・・東京に来たらスキー場行くだけで往復で万券が飛ぶ・・
でも、人生諦めるのはまだ早い!!って最近思うようになりました!
皆さんにもっと支持していただけるようなブログに成長させて、ゆくゆくはアフィリエイト収入でスキーのための費用(交通費・滞在費・道具代・仕事休む間の収入補填)を賄いたい、それが今の密かな目標です。
(あぁ~あ、とうとう本音言っちゃった 汗)
これからスキーを始めようかなという方、現在楽しんでいらっしゃる方、自分のように諸事情で休止状態の方その他記事を読んで下さる方々の何かの参考になれれば幸いです。
自分とスキーとの出会い
当時父親がスキーにハマってたんで5歳の時にスキーデビュー
以降ほぼ毎年普段の週末は奈良からもアクセスしやすい琵琶湖周辺や岐阜県のスキー場に
正月等まとまった連休がある時は、長野の志賀高原や新潟の妙高高原等に家族旅行も兼ねてスキー乗りに出かけてました。
屋外のスポーツだから吹雪や季節外れの雨に打たれて寒い思いしたり、初めて挑戦するコースで怖気づいて父親に発破かけられたり(?)して泣いたこともありましたが
毎回楽しみでしょうがなかったですね♬行きたくないって思ったことは一度もありませんでした。もっとも、父親は自分が行きたい一心で自分をダシに使ってたのが本当のところだったみたいですが(笑)
高校1年の時バッジテストに挑む・・・
そんなこんなでスキー乗りの経験値はシーズン毎に積み重なっていったんで中学に上がる頃にはパラレルターンレベルに。
時々一緒に行く親戚や近所の家族と合わせた中でも自分が一番上手い存在になってました。
そして、高校1年の冬休みに新潟の妙高高原で人生初のSAJ(全日本スキー連盟)バッジテスト2級の検定試験に挑んだんですが
感性鋭い皆さんはここまで読んでいただいてもう予想はついてらっしゃるかと思います。
結果は・・
ケチョンケチョンに落ちました・・・(大泣)
「井の中の蛙(かわず)」がまさに大海に放り出された瞬間・・・
せいぜい20人程の狭いコミュニティーの「お山の大将」が転げ落ちた瞬間・・
今になって振り返れば至極当然の結果と思えるんですが、受検者中トップ合格じゃないにしてもとりあえず合格はするだろう、と甘く考えてた当時の自分が受けたショックは凄まじいものでしたね。
魂抜けきって泣くこともできないくらいでした・・・
自己分析力は大事
具体的な不合格理由を挙げれば
- 我流でテキトーに滑る癖が染みついていた(基本から外れていた)
- 多分大丈夫だろうと高を括ってみっちり滑り込まなかった
- 検定全体・種目毎の着眼点や減点になる要素などを理解してなかった etc.
と色々あるんですが、最も根本的な理由は
「自分で自分の事を理解できてなかった事=自己分析力不足」
なんですよね・・
それなりに人生経験も積んで
専門的科学的に自己分析力アップにも取り組んだ人ほどじゃなかったにしても
もう少し自己分析力が当時の自分にもあったら少なくとも合格レベルじゃない状態で受検すること自体無かったでしょうし
同じ不合格でも最初からある程度想定した上での
「トライアンドエラー」
として捉えられて、無駄に人格・存在自体を否定されたかのような錯覚に陥って取り乱すことも無かったと思います。
冬休みが終わり三学期に入って約半月後に部活動で腰を痛めたせいで、結局春休みまで一度もスキーの練習ができなかったんですが
そんな準備不足の状態に加え腰の痛み自体も癒えない中再受検するという暴挙にでたのも、ひとえに「根本的自己分析力不足」のなせる業であったと思います・・・(苦笑)
責任転嫁もたいがい・・
バッジテスト2級はその後1年と大学受験を挟んだ高校3年の春休みに3回目の受検でようやく合格したんですが
特に初受検不合格から再受検の間は前述のケガのせいで練習にいけないもどかしさも手伝って
今思うと「なんでそんなに?」と思うくらい心の中は荒れてましたね。
心の中で毎日校舎の窓ガラス叩き割って廊下を盗んだバイクで走り回ってました・・
(なんかのドラマのオープニング映像と誰かの歌の歌詞みたいに・・)
とにかく不合格の悔しさとやり直しのスタートにも立てないもどかしさを一瞬でも忘れたい気持ちに任せて
父親と顔突き合わす度に
「オトンが我流の滑りを教えたせいで落ちた」
だの
「きちんと先生をつけてくれなかったから上手くなれなかった」
だのと責め立ててはケンカになるのが日常化してましたね・・・
ほんと振り返ると
「清々しいほどの責任転嫁ぶり」
でした・・・
少し遅めの反抗期だったのかもしれません。
ただ自分も親になって思うのは
5歳という自己決定・意思決定の概念すらままならない時期の我が子を巻き込んで言わば
「年間家族行事のデフォルト」
に組み込んだからには
巻き込んだ側の責任というのは絶対ゼロじゃないと思うんですよね、やっぱり。
あの当時は自分が憂さ晴らししたいだけで、一方的に責任転嫁され責め立てられる父親の気持ちを斟酌する余裕なんてありませんでしたが
人一倍短気な父親が自分の責め文句をギリギリまで黙って聞いてたのは言葉にこそ出さなかったけど
「父親なりに責任を感じていた部分もあった」
のかな?とも思います。
2級合格後~三食おやつ温泉付き居候~
大学生になり
アルバイトでスキー費用諸々を自弁できるようになった自分は
一回生の後期試験終了後の春休みに憧れの1級を受検しました。
自己分析力は相変わらずだったと思いますが些少の学習能力はあったようで
2級の時の轍は踏むまいと夏場からコツコツと貯めた貯金を全て投入し
引き続き妙高高原の同じスキー場の民宿に2週間泊まり込んで滑り込んだ上で検定に挑みました。
あとからそこのご主人と女将さんから聞いたんですが
高校は卒業したとは言え未成年の小僧が一人で、しかも旅行会社のツアーではなく直接予約で2週間も泊まりたいと電話してきた時は
当然ながら最初に応対した女将さんも受話器の向こうで少し戸惑ったそうです。
しかし、その辺りは自分も両親も想定してたので
念のため自分の後両親と電話を代わってもらい万が一の際の支払い保証や緊急時の連絡先の手筈等を親の口からも伝えてもらった事で
向こうさんの心配も解消されたらしいです。
改めて、常連でもない一見客の連泊を受け入れてくださったご主人・女将さん、その節は本当にありがとうございました。
ちなみに、そのころには自分の「反抗期」もだいぶ治まり、父親とも「和解」が成立していました(笑)。
話を戻して、期間中スキー学校のレッスンも受けつつ2週間みっちり練習して挑んだ初の1級検定の結果は・・・
不合格・・
さすがは1級、一筋縄ではいかないか・・
改めて基礎から習って練習することも含めてもっと滑り込みが必要だけど
お客として泊まり込むのは費用が嵩むし、かといってアルバイトだと滑る時間がナイターか公休日くらいになって練習量が確保できない・・・
となると無給で朝・夕だけ(※)仕事する代わりに衣食住タダもしくは超格安になる
「居候(いそうろう)」
が最適!!
〔※ 居候の業務内容・条件(給与・リフト券貸与の有無等)は受け入れ先により異なります〕
『泊まってるこの宿にお願いしてみようかな?いやいや、一見の客がいきなり頼み込んでも見込みは薄いよなぁ・・いつも頼んでる人いるっぽいし・・』
『そうだ!!この後同じスキー場の「○○山荘」に移って地元の人たちのグループに合流するから、そこの宿に聞いてみよう!!』
その「○○山荘」というのは、その一昨年辺りから子供の頃やっていた習い事(普段からOBとしてちょこちょこ手伝っていた)の春休みスキーイベントで利用してる宿なんですが、自分はその時が初めての宿泊。
ご主人と女将さんが切り盛りするそこの宿、2泊した感想はなかなかいい感じ!
温泉も引いてあって最高!!(笑)
食後等に他の仲間と一緒にご主人とお話した範囲でわかった情報では
忙しい時にその都度親戚・昔からの知り合い(お二人と同世代の人)に単発バイトを頼んでおり、その時点では毎シーズン決まった人数の居候受け入れを約束してる団体及び個人は無いが
過去に居候を受け入れたことは何度もある、とのこと。
これは見込みありそうだ!!
勇気を出して(?)、帰る日にご主人に来シーズン居候させてもらえないかと頼んでみたところ・・・
ご主人:「来シーズン?居候?いいよ!息子(地元役場に勤めてるがほとんどスキー乗らない、とご主人の談)の枠でタダで作れるからシーズンパス券(※)も頼んどいてあげるよ。秋口になったら連絡するから免許サイズの顔写真送ってちょうだい。」
(※ スキー場運営会社が旅館組合を通じて加盟旅館等に発行する株主優待券のようなもの)
自分:「ありがとうございますぅぅぅぅ~」(90度最敬礼付き)
かくして翌シーズン、その○○山荘さんにクリスマス明けから居候しながら改めて1級合格を目指し練習開始。
初回の受検で1級の壁を実感したので
2月に模擬試験的に2回受検して仕上がりを確認
一応の本試験は3月最初の検定と設定してスキー学校のシーズン会員(3万円くらい、検定事前講習と検定諸費用は別途)にも加入
都度都度レッスンも受けつつ練習を重ねていったのですが・・・
なんと
模擬試験設定の2月2回目の検定で合格!!
都合3回目で合格することができました♪
素人の自分に時に厳しくも丁寧に仕事を教えて下さって
満室時以外はギリギリの時間までゲレンデに行かせてくれて
三食とおやつも毎日食べきれないくらいに用意してくださるなど色々気遣って下さった居候先のご主人と女将さん。
長らくご無沙汰してしまってますが、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
居候こぼれ話
居候期間中はホント毎日が楽しかったです♪
予想よりも早く検定に合格した後も週に2回くらいスキー学校のレッスン受けてたんですが
平日は一般客の生徒さんより自分のような居候やアルバイトで現地に滞在してる人がほとんど。
しかもみんな自己紹介の時に所属先の民宿・ペンション・ホテルの屋号も名乗るから、お互いフリーで滑ってる時にゲレンデで会っても
「本名より先に屋号」
が出てくるんですよね。
「○○(山荘)のKENパパ君!」
「(ペンション)△△のユウコさん!」
「(ホテル)**のコータ君」
「##(旅館)のメグミちゃん」って感じで。
お互い仲良くなった人が検定の時には応援に駆け付けたり
受かった時にはゲレンデのレストハウスでお茶しながらお祝いしてあげたりされたり、なんてこともありました。
みんな同年代だったからちょっとしたサークルみたいな雰囲気でしたね。
あと、特に自分は顔写真付きシーズンパス券(しかも株主優待券的なもの)でリフト乗せてもらってたこともあり
居候開始1週間もしないうちにリフト係員さん全員に顔と名前憶えてもらってました(笑)。
改札(当時はICチップ式の無人改札ゲートではなく有人改札が主流)の時に声かけてもらえて
「兄ちゃんも熱心だねぇ!疲れたら食べな!」
って飴玉やチョコレートもらった事もありました。
顧客サービスの意味合いもあったと思いますが、なんでもないタイミングでわざわざ声をかけてもらうとなんとなく
「仲間内に加えてもらえた」
ような感じがして嬉しかったですね♬
ただそんな中、笑っちゃうくらいに・・・
「ゲレンデのロマンス」や「色っぽい出来事」、なんて類のものだけが・・・
ひとつたりとも起こりませんでした・・・(涙)
そして「スキーの仕事」の道へ
たくさんの方々のご厚情に支えられて晴れてバッジテスト1級に合格できた自分は、子供の頃の夢「スキーの先生」を目指すべく次の目標を
「SAJ公認準指導員資格取得」
に定め
翌シーズンから妙高高原の別のスキー場でスキー学校の助手になるのですが
そこからもそれなりに紆余曲折ありました・・
また長い話になるので、別記事にしようと思います。
自分史編①、お付き合いくださりありがとうございました。
コメント