介護施設での利用者虐待について∼働くこっちの尊厳はどこに?~

高齢者介護

(画像取得元 ぱくたそ(pakutaso.com)さん)

昨今、テレビ等で介護施設における利用者に対する虐待のニュースが報じられる事がありますが

「利用者の人権・尊厳保持ばかりで介護する側の尊厳・人権が全くと言っていいほどそっちのけ・・」

と感じずにいられないことばかり・・

勿論虐待は許されないことです。ましてや「顔が気に入らない」とか「食べ方が汚くてムカつく」といった職員側の個人的見解・感情に基づいた虐待などあってはなりません。

しかし、認知症により脳の理性的・論理的制御を司る機能が低下した言わば

「まともな話が通じない相手」

と日々向かい合う介護職の人達と利用者双方の尊厳・人権を守る術は本当に作れないんでしょうか?・・・

「基本的人権の尊重」を柱の一つとする憲法下で統治されてるこの国にあって、利用者側も含め個人の権利を法的に制限することが難しいのなら、せめて刑法における正当防衛のように

危害を加えようとする利用者に対して

職員が危害回避のためやむを得ず取った行動

により発生した傷害・死亡に対しては、ある種一定の

「免責」

がなされてしかるべきだと思うんですよね。

 

今回は、自分がこれまで接してきた利用者さんの事例の中から、国内認知症患者の約60%以上・人数にして約100万人といわれる「アルツハイマー型認知症」の例を基軸にお話を展開していきます。

 

みんな認知症をナメてる!

テレビ等で映される認知症高齢者の姿が、せいぜい数分前の記憶を無くして同じ質問を繰り返している様子や、家と昔の勤務先の区別が付かなくなって歩き回ってる様子程度なので余計に、だと思うんですが、認知症高齢者の中には感情の爆発が

「暴力」

という形で現れる人も介護現場ではたくさん見受けられるにも関わらず、その様子はあまり周知・認識されていません。

職員が行う声掛け、更衣・排泄・入浴等の介助が最適な方法であったとしても、当人にとって受け入れがたい・不快なものであったりすれば、利用者さんによっては「暴力」という形で拒否反応を起こすケースもあるわけです。

認知症による脳機能低下のため、論理的合理的判断・思考ができない或いは困難になる分、症状が進んでも比較的保持される

感情の部分

が優位になるので、認知症を患ってない人であるなら

  1. 人に服脱がされるのは恥ずかしいし嫌だなぁ・・
  2. でも自分は手もうまく動かないし、足腰もおぼつかないし。でも風呂にもトイレにも行けなくて不快になるのはもっと辛い・・
  3. 手伝ってもらえば風呂もトイレも行けてスッキリするから、ここは辛抱しょう。

となるところも、暴力傾向がある認知症患者の場合は

  1. 目の前のこいつ(介助する職員)に服脱がされた!
  2. なんでこんなイヤなことされるんだ?イヤなことをしろと言われるんだ?
  3. コイツをやっつけてやる!

となって手や足が出たり、手元にある物投げつけたり、唾吐きかけたり、という行動に出るんですよね。

大雑把に言えば、普段から頭の中が

「へべれけに酔っ払ってる人」

と大差無い状態なわけです。まともな話など通じるわけがないんです。

逃げるにも限度がある・・

そんな言わば

「暴れたくなった時に暴れる猛獣のような人」

から身を守る為の第一手段は

「逃げて(=距離をとる)相手が沈静化するのを待つこと」

なんですが、現実問題いつでもどこでもその手法だけで解決できるわけではないんですよね。

当然他の利用者さんにも、危害が及ばないよう退避してもらう必要があるんですが

  • 歩行機能が低下してる人、耳が遠くて声掛けられてもすぐに聞き取れない人など、退避完了までに時間や手間を要する人が多い
  • 小規模デイサービス事業所なんかの場合は特に、距離を取ろうにも元々のスペース的に限度がある
  • 利用者さん毎に個室があってそこに避難できても、当の避難した人が何故避難したのかを忘れてまた部屋の外に出てきてしまうことがある(認知症による短期記憶障害のため)
  • まだその場に居る或いは再度部屋の外へ出てきてしまった利用者さんが、意図・認識せず「火に油を注ぐような言動・行動」をとってしまう(例:「うるさいわねあんた!」と注意する)
  • 暴力を目の当たりにしたり怒号を聞いたせいで不安感が増大し、歩き回ったり自力で立ち上がり・歩行できないのに立ち上がり歩こうとしたり、トイレじゃない場所で排泄をしたり着衣状態で失禁したりする

等々・・暴れるその人だけでなく他の利用者さんも

「まともな話が通じない人達」

であり

「自分で身を守る行動がとれない人達

なわけです。

暴れる人に対峙する職員、回避を介助する職員、回避した人をその後見守る職員と人員を確保できる場合はいいですが、夜勤等人手が足りない時に同じような状況が発生した場合

「暴れる人の安全」

「他の利用者さんと職員の安全」

のどちらを取るのか?という

「究極の選択」

常態化してるのが、介護現場の現状なわけです。

にもかかわらず、そんな状況でやむにやむを得ず取った行動に起因するケガや死亡事故でさえも、職員の個人的悪意によるものや施設の悪習・怠慢体制等によるものと区別されず、十把ひとからげに

「虐待」

とされ職員や施設が法的・社会的に問責されている。

こんな「理不尽」ともいえる状況が放置されている状態で、昨今叫ばれている介護職員不足・なり手不足が解決できるでしょうか?個人的にはとても解決できるとは思えません・・・

負の面・影の面も知ってもらおう!

客観的には同じ結果が生じていても

「法的に免責されてしかるべき事案か、そうでないか」

を精査した上で司法判断が下される仕組みを作るためにはどうしたらいいのか?

それにはやはり

「認知症高齢者の『ありのままの姿』を知ってもらうこと」

が必要だと思います。

テレビ等に映しだされる認知症高齢者の姿が、レクリエーションで楽しそうに歌ってる場面だとか近所の幼稚園の子供たちの訪問を受けて喜んでる姿とか

「キレイな部分」

『余りにも偏り過ぎ』

なんですよね。

当の認知症高齢者本人のノーカットドキュメンタリー番組を地上波で映すことが無理というなら、せめて俳優さんによる演技やアニメ・CGを活用してBS/CS番組・映画・ネット配信で流すとか、とにかく

「認知症高齢者介護の過酷で汚い部分」

例えば、気に食わないことがあって職員や家族に暴力を振るおうとする場面だとか、トイレの場所を認識できずリビングや庭先でパンツを下ろして排泄したり、パンツの中に出したウ〇コを取り出してテーブルの上に並べたり後生大事にチリ紙に来るんでタンスにしまう場面とか、

「直視したくない場面」

も同じくらい世間の人々に視てもらう事が必要、だと思います。

もちろんいたずらに不安を煽るのもいけないと思いますが、認知症が決して何万人に一人という稀有な疾病ではなく

『高齢になれば誰しも患う可能性があるもの』

『人の数だけ認知症の症状がある(千差万別である)こと』

を正しく認識してもらうためにも避けて通れない事、だと思います。

まとめ

認知症高齢者の事も含め

「高齢者介護の世界の現実」

がもっと広く認知されて色んな議論が活発に行われるようになれば、司法の判断や介護に関する公的制度の有り様も変わってくるでしょうし、ひいては現場で働く職員の処遇改善にも繋がっていくもの、と考えます。

自分も介護職の端くれとして、全体から見ればほんの少しなんでしょうが、今後も介護の世界の様子を発信し続けていきたいと思います。

ありがとうございました。

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